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2023年09月29日
“見える”と“見えない”
我が家のリフォームがそろそろ終盤に差し掛かっている。
お風呂と洗面所は完成した。新しいお風呂はさすがに気持ちいい♪
と思いきや…何か違和感が生じた。
何だろう?と思ったらお風呂場の鏡が黄色い。
体が黄黒色に見える。
アレ?私邪気まくってるのかな?または黄疸?とまで思った。
息子や夫に伝えても『わからない、何ともない。』と言い『またお母さん、思い込みで文句を言う』と面倒くさがられた。
あらゆる角度から見せて(壁がピンクなのだが)「ほら、鏡の中から壁を見ると黄色いでしょう!」と言ったら『う〜ん、まぁそうかもね。俺日焼けしてるから何とも思わなかった。』と何とか同意してくれた。
工務店の人に伝えても『う〜ん、そうかもしれませんね。僕日焼けしてるから気付かなかった』と同じ返答。
その時には既に息子は“鏡が黄色い側”に立っていた。
『業者の人に来て貰いますね。』と言って帰ったが業者の方も全く同じセリフ。
皆、自分しか見てないのー?
えーっ!?わざと!?知らないフリ!?
今までクレームないの?
まさか気づく人いないの?
疑ってしまったが、既に家族全員は黄色側にいて絶対ナイナイ!となっていた。
気づくと更に黄黒色に見える。
鏡の世界から見た壁は明らかに黄色いのに抵抗?する。
これって今の世の中と似ているような気がした。
初めて“言う”人は陰謀論者と言われ変人扱いされる。こちらははっきり見えているのに…
“見えない”人は本当に見えないのかもしれない。でも一旦“見えた”らどんどんはっきりしてくる。
これが真理。
それにしても鏡を黄色で暗くするメリットって何だろう?
Posted by REIRA at 11:44│Comments(0)